まさかの時の樹脂加工業者こそ、真の㈱カジノの姿です。どんな厳しい製作物でも、厳しい納期でもお申し付け下さい。


イエニチェリ

 

 

どの美術館にもこの悲惨な有様が・・・

 

 

 

こんな時代がついに到来

【政治でもスポーツでも使われるこの言葉】

今回は中国故事、いよいよ本来の“史記”になぞらえます。

背水の陣・・・「追い詰められて後がない勝負所で、己を奮い立たせる」という状況で日本では毎日のように使われています。『背水の陣となった○○球団は、エースを中4日で投ずる強行日程』とか、『□□内閣、背水の陣で解散か』といった具合です。


この策略を敢行したのは、中国戦国時代の偉大な武将・韓信。日本はまだ弥生時代真っ盛りの頃に、韓信は史上最強とまで言われた機知に溢れた武力で、親分・劉邦の大漢帝国建設に大貢献しました。韓信のニックネームは「国士無双」と言われ、何とこれは後世、麻雀の最強役の呼称に使われ、世界に広まることになりました。国に双(ふた)りと無(いな)い士(さむらい)、でこの名が付いたのでした。親分の劉邦は、戦いがからきしダメで、韓信含む優秀な部下三傑の合力により、猛将項羽を倒し、漢を統一していきました。三傑は実質の秘書室長・張良、総務部長・蕭何(しょうか)、そして営業部長の韓信です。ただこの韓信、受注を取るばっかりの人間で、職場環境作りや人間関係・事務ワークなどはかなりおろそかだったようです。

【楚漢戦争の流れを変えた作戦】

背水の陣は、井陘(せいけい)という地で起こります。百戦まみえて項羽に全く勝てない劉邦軍は、側面ボディーブローを狙って趙国を攻め、項羽牽制をもくろみ、韓信にその任を託しました。

趙軍は、井陘という中心地に20万の大軍を配備させます。対して韓信軍は、わずか2万2千。しかも敵地で、とても勝ち目はありません。韓信は知恵を絞り、軍を3つに分け、1万を河を背に布陣させ、2千を隠し、残り1万を趙軍に突っ込ませました。当然のように蹴散らされた1万は退却し、河を背にした1万の兵の所に逃げ込みます。これが韓信の作戦だったのです。

一方、元々河を背にした1万の軍は、後ろがなく逃げ場が無いため、死に物狂いで戦い、更に背後に回られる心配もないので、なかなか崩れなかったのです。そこへ1万の援軍が加わり、趙の大軍には分厚い砦になったのでした。河を背に一進一退、時間がたつうちに趙の城内からトキの声が上がります。最初に隠しておいた2千の兵が、迂回して敵の本陣を制圧したのです。

『どんな苦境も、逃げ場がなければ必死に戦わざるを得ない』・・・背水の陣だったのです。

そして、この戦いで中国はもう一つ、言葉を残します。

敗れた趙の将軍、李佐車の言葉・・「敗軍の将、兵を語らず」・・・これまた日本のリーダーが2千年以上後に何度も口にする言葉になりました。この戦いが流れを呼び、百敗しつつもこの2年後には楚の項羽を倒して勝利したのです。

やがて三傑のうちこの韓信は、更なる野心で謀反を企て、大漢帝国の隆盛を見ることなく処刑されたのでした。

【背水の陣で物づくりします。大量も少量も】

このような巧緻による戦勝も、研ぎ澄まされた集中力と緊張感があってこそ、です。

(株)カジノでは、毎日が、いや常時が背水の陣です。

あとがない、逃げ場がない、一見無理でもチャレンジしてみる、この精神で製品作りに励んでおります。現在は大阪も日本も背水の陣かと思います。この環境に慣れた者が、生き残る時代ではないでしょうか。


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